先日、動画で見かけた話です。
残業を減らしたい会社が、「ノー残業デー」ではなく「残業してよい日」を決めた——。
聞いた瞬間、なるほどと思いました。
ノー残業デーは、何を「特別」にしているか
残業を減らそうとするとき、多くの職場が「毎週水曜はノー残業デー」といった形をとります。私も、それが普通のやり方だと思っていました。
でも、よく考えるとこの仕組みは、「残業しないこと」を特別扱いしているのです。
週に一度だけ定時で帰る日を作る。裏を返せば、残りの4日は残業する前提だということになります。「今日はノー残業デーだから帰ります」という言葉は、逆に言えば「他の日は帰りにくい」と認めているようなものです。
これを反転させたのが「残業してよい日」という発想です。定時で帰るのが当たり前で、残業するほうが例外。同じ「残業を減らす」という目的なのに、前提がまるごと入れ替わっています。
どちらが正しいという話ではない
もちろん、この方法がどこでも使えるわけではありません。
取引先の都合に合わせなければならない仕事、締め切りが動かせない仕事、人の命に関わる現場。残業する日を選べない職種は確実にあります。
私の職場は、比較的定時で帰れるほうだと思います。月末月初や、利用者さんの体調が急に変わったときはそうもいきませんが、日常的にはきちんと帰れる。残業した分の残業代も、きちんと支払われます。真っ当な会社だと思っています。
それでも、この話が面白かったのは残業の話としてではありませんでした。
「規則だから」「慣例だから」でやっていないか
私が引っかかったのは、自分がノー残業デーを疑いもしなかったという事実のほうです。
残業を減らす=ノー残業デーを作る。そういうものだと思い込んでいました。誰かが決めたやり方を、そのまま正解として受け取っていたわけです。
職場には、こういうものが山ほどあります。「昔からこうしている」「規則で決まっている」「みんなそうしている」。
正直に言うと、私はこの手の理由があまり好きではありません。規則には理由があったはずですが、その理由が今も生きているかは別の話です。慣例は、始まった当時の事情の産物にすぎません。
「なぜそうしているのか」を説明できないルールは、一度疑ってみる価値があると思っています。
人は、自分が良いと思うものに引っ張られる
厄介なのは、こうした思い込みが自分では見えないことです。
人は誰でも、自分が良いと思う方向に引っ張られます。今までうまくいってきたやり方、慣れた手順、自分が納得している理屈。それが最善だと感じているから、疑う理由がありません。
だから、外から入ってくる視点が要るのだと思います。
研修で他の事業所の人と話す。畑違いの本を読む。動画で知らない業界の話を聞く。「そんなやり方があるのか」と驚く瞬間が、思考の枠を少しだけ広げてくれます。
今回の「残業してよい日」も、私が自力でたどり着ける発想ではありませんでした。誰かが考え、誰かが発信してくれたから知ることができた。視点は、他人からしかもらえないのです。
明日から試せること
大げさな話にする必要はありません。
職場で「これ、なんでこうしているんだろう」と思うことがあったら、一度だけ声に出して聞いてみる。それだけで十分だと思います。
明確な理由が返ってくれば納得できます。「昔からこうだから」と返ってきたら——そこは、変えられる余地があるということです。

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