『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』が公開されています。7月24日の公開から17日で興行収入67.7億円、動員469万人。原作でも屈指の長編、通称「セイレーン編」の映像化です。
※ここから作品の内容に触れます。まだご覧になっていない方はご注意ください。
今回は映画の感想ではなく、あの島の「その後」——島民がこれから何をすべきかを考えてみたいと思います。島に起きたことが、私たちの働き方と驚くほど似ているからです。
セイレーンがいた島で、起きていたこと
前提を整理します。あの島にはセイレーンがいて、その歌声によって作物がよく育っていました。島は豊かでした。
面白いのは、その始まり方です。島民は、豊かさを設計したわけではありませんでした。巨大なセイレーンを恐れて、濃い味付けの料理を出してなだめていた。セイレーンがそれを気に入って島に居ついた。結果として作物が育つようになった——そういう順番です。
そして物語の終盤、セイレーンは島を出ていきます。戻ってくるかどうかは分かりません。仮に戻ってきたとしても、以前と同じ関係を築ける保証はないでしょう。
そこで、こう考えてみます。セイレーンがいなくなった島で、島民はどうすればいいのか。誰かが助けに来る前提を外して、自分たちで何を変えるべきかを考えてみます。
最初に起きるのは「同じことをしても、成果が出ない」
島民が最初に直面するのは、おそらくこれです。
今までと同じように種をまき、同じように世話をする。それなのに、以前ほど育たない。やり方は何も変えていないのに、収穫だけが減っていく。
これは、現実にもよくある景色ではないでしょうか。
- 会社の業績が落ちて、賞与が減った
- 面倒を見てくれていた上司が異動した
- 人手が減って、同じ仕事が回らなくなった
- 大口の取引先を失った
- 親が元気なうちは成り立っていた生活が、介護で崩れた
どれも、自分の努力が減ったわけではありません。支えていた条件のほうが消えただけです。
まず、「もう戻らない」と認める
ここで思い出したい言葉があります。「過去と他人は変えられない」です。
セイレーンを連れ戻して「昔みたいに歌ってくれ」と頼むことはできません。同じように、「昔は給料が上がった」「昔はこの仕事で食えた」と言っても、その時代は戻ってきません。
つらいのは、嘆いている時間そのものが、いちばん高くつくことです。その間も畑は痩せていきます。
だから最初にやることは、失ったものを数えるのをやめて、いまある条件で何ができるかを考えることだと思います。
島民がやるべきこと①——自分たちで育てる力をつける
セイレーンの歌がなくても作物が育つように、土を改良する。肥料を工夫する。育てやすい品種に変える。保存の方法を学ぶ。不作に備えて蓄える。
最初は収穫が減るはずです。それでも、「セイレーンがいないと生きていけない島」からは抜け出せます。
社会人に置き換えるなら、会社に依存しすぎないことです。会社員でいることが悪いのではありません。「今の会社がなくなったら、自分には何が残るだろう」と一度考えてみる、ということです。
資格、専門知識、AIを使う力、人に説明する力、社外の人脈。どれも一日では育ちません。だからこそ、まだ余裕があるうちに少しずつ育てておく必要があります。
島民がやるべきこと②——畑だけに頼らない
島なのですから、畑だけが生きる道ではありません。海の幸があります。加工すれば保存もできます。島でしか採れないものがあるなら、外と交換することもできるでしょう。
収入源をひとつに絞らない。これも同じ話です。
本業を辞めろという話ではありません。「給料だけ」という状態を、少しずつ崩していくということです。本業に副業を足す。労働収入に、配当のような資産収入を足す。老後資金を先に終わらせておくのも、選択肢を増やす方法のひとつでしょう。
柱が2本あれば、1本折れても倒れません。
島には島二郎がいる。でも、頼ってはいけない
幸い、あの島には島二郎がいます。素潜りで貝を採ってくる、屈強な人物です。しかも他者に対してとても紳士的でした。島の食料事情を支えられる、貴重な存在だと思います。
ただし、ここで気をつけたいことがあります。
「島二郎が獲ってきてくれるから大丈夫」となった瞬間、セイレーン依存が島二郎依存に変わるだけです。
構造は何も変わっていません。誰か一人の能力に、生活を預けているという点では同じです。しかも今度は、その一人が体を壊したら終わりになります。
ではどうするか。頼るのではなく、教えを請うことです。
「どうやって潜っているのか」「どこに行けば獲れるのか」「危ない場所はどこか」「自分にもできるのか」。そうやって、できる人を一人ずつ増やしていく。一人の能力を、島全体の能力に変える。これは技術の継承そのものです。
「島二郎になれ」ではなく、「島二郎から学べる人になれ」
ここが、この記事でいちばん伝えたいところです。
どんな職場にも、飛び抜けて仕事のできる人がいます。その人と同じ能力を持つ必要はありません。大事なのは、自分よりできる人を認めて、素直に学べることです。
では、これから必要になるのはどういう人でしょうか。5つ挙げます。
- 変化を受け入れられる人——「昔は良かった」で止まらず、いまの条件から考えられる
- 素直に学べる人——年齢や立場にこだわらず「教えてください」と言える
- 学んだことを抱え込まない人——教わったことを、次の誰かに渡せる
- 自分で考えて動ける人——指示を待たず「畑が駄目なら海に出よう」と動ける
- 協力できる人——全部を一人でやろうとせず、得意を持ち寄れる
介護の現場でも、同じことを感じます。新しい記録システムが導入されたとき、若い職員に「教えて」と言える人ほど、早く慣れます。逆に「私はこのやり方でやってきたから」と身構える人は、いつまでも紙とペンから離れられません。能力の差ではなく、学ぶ姿勢の差です。
これはAIとの向き合い方にも、そのまま当てはまります。使いこなしている人がいるなら、教えてもらえばいい。「自分は今までこうしてきたから」と断ってしまえば、セイレーンがいなくなったのに以前と同じ農法を続ける島民と同じになります。
恵まれていることと、力があることは違う
整理すると、こうなります。
セイレーンがいた頃の島は、確かに豊かでした。ただし島民は、その豊かさを自分たちでは作れませんでした。
ここが怖いところだと思います。環境に恵まれていることと、自分に力があることは、同じではありません。
会社が好調だから給料がもらえている。できる上司がいるから仕事が回っている。親が元気だから生活が成り立っている。それを全部「自分の実力」だと思っていると、条件が変わったときに動けなくなります。
だから、環境が良いうちに、自分の力を育てておく。島民から学べることがあるとすれば、たぶんここです。
まとめ
- 島の豊かさはセイレーンという外部要因によるもので、島民が設計したものではなかった
- それが失われると、同じことをしても成果が出ない状態になる。努力が減ったのではなく、条件が消えただけ
- まず「もう戻らない」と認める。嘆いている時間がいちばん高くつく
- やるべきことは①自分たちで育てる力をつける ②畑だけに頼らない——会社に依存しない力と、収入源の複数化
- 島二郎のような優秀な人に頼るのではなく、教えを請う。一人の能力を全体の能力に変える
- 求められるのは変化を受け入れ、素直に学び、学びを渡し、自分で動き、協力できる人
- 恵まれていることと、力があることは違う。環境が良いうちに力を育てておく
セイレーンは帰ってこないかもしれません。景気も、会社も、親の健康も、こちらの都合では動いてくれません。
変えられないものを見つめる時間を減らして、変えられるものに力を使う。島民にできることは、たぶんそれだけです。そして私たちにできることも、たぶん同じです。
あなた自身が、あなたの人生を一番素敵にできる人です。

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