「足るを知る」と聞いて、どんな印象を持つでしょうか。
欲を持つな。今あるもので我慢しろ。高望みはするな。そんなふうに、少し窮屈な言葉に聞こえるかもしれません。私も長いあいだ、そう受け取っていました。お金がなくてあきらめたことがあるときほど、「足るを知れ」と言われると、あきらめを正当化する言葉のように感じたのです。
ですが、この言葉のもとをたどると、意味はまったく違っていました。足るを知るとは、あきらめることではありません。自分の物差しを持つことです。
「足るを知る」の続きには、「努力」が書かれている
「足るを知る」は、中国の古い思想書『老子』の一節がもとになっています。よく知られているのは「足るを知る者は富む」という部分ですが、原文はこう続きます。
人を知る者は智なり。自ら知る者は明なり。
人に勝つ者は力有り。自ら勝つ者は強なり。
足るを知る者は富む。強(つと)めて行う者は志有り。
「足るを知る者は富む」のすぐ後に、「強めて行う者は志有り」、つまり努力を続ける者は志を持っていると書かれています。足るを知ることと、努力することは、並んで置かれているのです。
もう一つ注目したいのが、前半の「人を知るより、自分を知ることが大切」「人に勝つより、自分に勝つことが強さ」という対比です。この章全体が、他人ではなく自分に目を向けなさいと言っています。
そう読むと、「足るを知る」の意味が変わって見えてきます。他人と比べて足りないものを数えるのをやめ、自分にとって何が十分なのかを知る。そのうえで、自分が大事にしたいことには、努力を惜しまない。足るを知るとは、上をあきらめることではなく、何を目指すかを、他人ではなく自分で決めることなのだと思います。
なぜ、上を見るとキリがないのか
他人と比べて苦しくなるのは、意志が弱いからではありません。人の心には、そうなりやすい仕組みがあります。
人は、上と比べやすい
心理学では、自分より恵まれている人と比べることを「上方比較」と呼びます。上方比較は、目標になって意欲を高めることもありますが、劣等感や不満にもつながりやすいとされています。SNSでは、他人の暮らしのいちばん良い場面ばかりが目に入ります。比べる相手は、どこまでも上にいます。
一方で、下と比べて安心しようとしても、心が満たされることはあまりありません。私自身、自分より下を見て安心したことはありませんでした。比べることそのものが、満足から遠ざけているのです。
手に入れても、人はすぐに慣れる
もう一つが「快楽順応」と呼ばれる心の働きです。欲しかったものを手に入れたり、収入が上がったりすると、そのときはうれしくても、やがてそれが当たり前になり、満足は元の水準に戻っていきます。そしてまた、次のものが欲しくなる。上を見ている限り、ゴールにたどり着くことはありません。
お金があれば、できることは増えます。それは確かです。ですが、自分が稼げるお金には、だいたいの上限があります。お金は無限には湧いてきません。上と比べ続け、手に入れては慣れることを繰り返していると、限りのあるお金と時間を、自分の満足につながらないものに使い続けることになります。
「身の丈を知る」と「足るを知る」は違う
よく似た言葉に「身の丈を知る」があります。ですが、この2つは向きが反対です。
- 身の丈を知る:他人の物差しで自分を測り、「自分はこの程度だ」と線を引くこと。物差しは、他人が持っている
- 足るを知る:自分の物差しで、何が十分で、何を大事にしたいかを知ること。物差しは、自分が持っている
身の丈を知ると、上をあきらめることになります。足るを知ると、上を目指すかどうかを、自分で選べるようになります。大事なことには全力を注ぎ、大事でないことは他人と比べずに手放す。同じ「満足する」でも、中身はまったく違います。
自分の物差しを持つための、3つの問い
では、自分の物差しは、どうすれば持てるのでしょうか。私が役に立ったと感じている、3つの問いを紹介します。
1.それは、比べて欲しいのか、本当に欲しいのか
欲しいものが浮かんだら、「もし誰とも比べなかったとしても、これが欲しいか」と自分に聞いてみます。他人が持っているから欲しいのか、自分の暮らしに本当に必要なのか。それだけで、手放せるものがかなり見えてきます。
2.それは、自分にとって大事なものか
私は昔から、服を選ぶのが苦手でした。何が似合うのかも分からず、店では迷うばかりで、買ったあとも「これでよかったのか」と気になる。そんなときに、持ち物を最小限にする暮らし方や、毎日同じ服を着るという生き方を知りました。
同じ服でいいと決めただけで、驚くほど気が楽になりました。服は、私にとって大事なものではなかったのです。大事でないものを手放すと、選ぶ時間も、迷う気持ちも、比べる気持ちも消えます。そして、本当に大事なものに使える時間とお金と気持ちが残ります。
3.人生の終わりから見て、どう感じるか
ケアマネジャーとして高齢の方と関わっていると、老いるとはどういうことかを考えます。歩けていた道が歩けなくなり、できていたことが一つずつできなくなっていく。そして人生には、必ず終わりが来ます。大富豪になる未来は、絶対にないとは言い切れません。ですが、人生に終わりが来ることだけは、絶対です。
人は、いつか死ぬと分かっていても、「それは今ではない」とどこかで思っています。だから、満足のいく人生を「お金が貯まったら」「時間ができたら」と先送りしてしまいます。
国は、もしものときに自分が望む医療やケアについて、前もって家族などと話し合っておく「人生会議(ACP)」を勧めています。人生の終わりを考えることは、縁起の悪いことではありません。自分にとって何が大事なのかを、いちばんはっきりさせてくれる問いです。人生の終わりから今を見たとき、何に時間とお金を使っていたいか。それが、自分の物差しになります。人生会議の進め方は、「そのとき」は突然きます——親と、そして自分のために始めるACP(人生会議)でまとめています。
足るを知るとは、今できることをすること
お金にも、時間にも、そして人生にも、限りがあります。限りがあるからこそ、何に使うかを自分で決めることが大切です。
足るを知るとは
他人と比べて足りないものを数えるのをやめ、自分の物差しを持つこと。
そして、自分の幸せのために、今できることをすること。
それは、あきらめではありません。『老子』が「足るを知る者は富む」の次に「強めて行う者は志有り」と書いたように、自分が大事にしたいことに向かって、努力を続けることでもあります。
もしよければ、紙に一つだけ書き出してみてください。あなたにとって、一番大事なことは何でしょうか。家族との時間かもしれませんし、健康かもしれません。好きな仕事や、自由な時間かもしれません。答えは人によって違い、それでいいのです。
一番大事なことが見えたら、次は、そこに向かってどう進むかです。次の記事では、「目標の立て方」について考えます。


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